この記事が、このBlogで998記事目らしい。1,000記事目は良いものを書こうと思ったが、無理かな。さて、私のBlogの遍歴を書くと、最初のBlogはSo-net Blogで運営していた。時期は定かではないが、ISPと初めて契約したときだから、2000年前後からか。
Blog名に地名が入っていたため、ネットストーカーに名前と住所を特定され、本名と顔写真(私の著作かFacebookだった気がするが、とにかく著作権保護されていたものを複写したもの)、住所まで入れて風説を流された。マンション内で変な噂が流れて困った。
今でも、その噂を信じている人がいて、私が幼稚で雇ってくれる会社がないので勤めたことがなく、ずっと家でゲームをしていると信じている住民に、たまに会うと「ゲームばかりして飽きませんか?」と言われる。コンピューターゲームはしたことがないしコントローラーの使い方も知らねぇよバーカ、と、ここで毒づく。
ネットストーカーも、私の身元を暴いたのが自慢で、また、自分は偉大なメンタルヘルスカウンセラーだという妄想を持っていたので、こういう相談(といって私がトンデモな奴だというエピソードを流す)を受けたけどカウンセリングを断ってやったという体で書いていた。ちなみに公認・臨床心理士でも何でもなければ金で買える民間資格を持っているだけであった。
それが自慢の奴だから、自分も本名、住所、顔写真入りで風説を流していた。そこで、それを持って警察署に相談に行ったのだが、窓口の人が頓珍漢な警察官で、これは個人情報を流布したに当たらないと言って追い返された。
その後、法的手段を取るぞといったら、平身低頭して謝ってきたのだが、ほとぼりが冷めては同じことを繰り返すので、Blogを、はてなブログに変えた。この、以前のはてなブログについては、一部を、このBlogで紹介しているが、またネットストーカーが今の新しいはてなブログを特定したからだ。
はてなブログを始めて2年ほど経って、「私は執念深い性格であることをお忘れなく」といって、Blogを特定し、また嫌がらせを始めた。新しい名前は私だと振り撒いた。某自治体に資料として使われるほど力を入れていたBlogで、ファンも付いていた。
ネットストーカーに引きずられて、そのことばかり書いたらファンも離れて行ってしまったのだが、今でもGoogle検索の上位に来て、1日に30PVくらいある。惜しいことをしたなと、つくづく思う。
さらに、私の家を襲うという脅迫状を送ってきたので、再度、警察に相談。襲ってきたときに備えて逮捕状を取る準備はしておいてもらった。それでもビビらず、JUGEMに無料ブログを作って消し、その数は30に近い。
そして、また名前を変えて、このBlogを開始したわけだが、それも3年ほどで突き止められた。あまり深く掘り下げて書いていないのは、そのためである。また、このBlogに対する、本人の言葉でいう「イチャモンBlog」を始めた。
そして2年前の元日、こんなEメールがネットストーカーから来ていた。私がネットストーカーをサイコパス呼ばわりしていたので、差出人は「サイコパス」となっている。
いつもながら、小学生でも知っていることを大仰に書き、小学生の作文とも言えないものを「学術論文」いって送ってくる。サイコパスでなければ誇大妄想狂だ(統合失調症で精神科には通院しているようだし、今は盗撮に凝っているようだ)。
今年も暮れていくね。
確か、何時かの記事で「漱石が読みたい」と書いていたっけ。
漱石にまつわる興味深い記事があったので紹介しよう。
文豪・夏目漱石をメンタル不調から立ち直らせた「人生が好転する考え方」
https://president.jp/articles/-/52824?page=3
特に次の下りを噛みしめてほしい。
すべての判断は「自分がどうしたいか」で決める
自己本位とは、「自分はどう思うのか、自分はどうしたいのか」というように「自分軸」で物事を捉え、そして行動していくこと。「相手がどう思うか、相手は何をしてほしいか」というように「他人軸」で物事を捉えて行動する生き方とは対照的な態度です。
人一倍真面目で努力家、一方で人一倍神経質で気持ちの上げ下げも激しかった漱石は、人間関係においては多くの苦労を経験したようです。
自己中心的になることと、自己本位になることは似ているようで大きく異なります。
自己中心とは他人の存在を無視し自分を中心に考えること。自己本位とはあくまでも他者の存在を前提に、その上で「自分はどうなのか」を問う態度であると言えます。
他人に振り回されて自分を見失うくらいなら、揺らぐことのない確固たる自分軸を構え、その上で他者との関係を築いていくことが大切です。
時代は違えども、「自分はどう思うのか」「自分はどうしたいのか」をしっかり考え、まずはそこを基軸にする態度は大切なのです。
一説によると漱石は被害妄想が強く、周りの人が自分の悪口を言っているのではないかとよく気にしていたようです。また、音にも敏感で、特に電話のベルの音が嫌いだったそう。敏感な感性の持ち主であった漱石は、それだけ他人にどう思われるかを人一倍気にしていたのかもしれません。
だからこそ、「自己本位」という言葉を強く意識し、そうした悩みを乗り越えていったのでしょう。
挫折を経験したからこそ自己の大切さを知っていた
実際、漱石は、最終的にはイギリスの下宿先に一人こもってしまい、あまりのノイローゼを心配され帰国を命じられています。そうした挫折を経験したからこそ漱石は、自分を見失わずに確固たる自己を持ち続けることの大切さを身にしみて感じていました。
自分という存在を誰よりも代表しそして体現しているのは、自分自身に他ならない、そんな意識を持つようになったのでしょう。
”自分らしく”とはこういうことではないかね。
自分を振り返るために、次の記事を引く。
2021年の予定
(私の旧BlogのURL)
なお、漱石は晩年、そして絶筆となった未完の小説『明暗』では、
則天去私という境地に至る。
自分を捨てるという境地だ。
何かの参考になれば嬉しい。
来年こそ嘘つきでないことを証明して欲しい。
どうも漱石が個人主義という考え方を持っていることを知らなかったらしく、それを知って感動して送ってきたらしい。かといって「私の個人主義」を読もうと思わない程度の奴である。いつも、「ぜひとも教えたい新しい知識」というのは、誰でも知っているものばかりだ。
また、そんなことばかりしている変人だからウォッチャーも多く、5ちゃんねるなどに何かを書かれては、私が書いたといってEメールやら@ツィートを送ってきたり、私に挑発されたといって悪口を書いてきた。警察への証拠が増えるだけなのに。
そして、このBlogを特定し嫌がらせを始めたのだが、1年前にピタッと止まった。警察から警告を食らったのか知らないが、やがて普通のことを書くBlogになり(といっても内容は常軌を逸しているのだが)、そのBlogの更新頻度も月に1回ていどになっている。
このBlogのPC版画面の右カラムを見ると、2020年、2021年の記事を消した跡に気づくと思う。当初は、前のBlogの裏Blogとして運営していて、タイトルも「ふぉんとの話」だった。内容は、当たり障りのない気楽なものだった。それが、ネットストーカーのせいでメインブログになった。
それが、今までBlogを転々としてきた遍歴であり、ネットストーカーとの戦いの歴史である。本当は、明日は、人と会う予定なので、今日の体調や心理状態を書こうと思ったのだが、急遽、変更した。明日はBlogを休むかもしれません。
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