遺書。

死ぬまで生きる。その記録です。毎日、午後9時更新。

私小説は娯楽色がなくてはいけない?

 

 ヒルナミンの調節には苦労している。今日は朝の5時に目が覚めてしまい、朝からデスクワークに励んでいるが、寝不足で、今一つ頭が働かない。似た経験をしている作家の著作があるのだが、どこを探しても見付からない。

 図書館に、その参考文献を借りに行くついでに、いっとき、友人のカラーひよこ (id:color-hiyoko) さんが傾倒していた西村賢太の本を何冊か借りてきた。神経症で本が読めない期間が何年も続いたため、まだザッとしか読めていないのだが、あぁ、私小説って感じねと思った。

 随筆「一私小説書きの弁」に、なるほどと思う段があったので、本当は一編を通じて読んでいただきたいし少し長くなるが、一部を引用する。結構、出版社の意向に左右されたことを嘆く作家が多いが、彼も、その一人であるようだ。

 

 もともとが、いわゆる“純文学”と呼称される小説には殆ど興味がないのに、ひょんなきっかけから手にした藤澤淸造、田中英光ら物故私小説家数名の著作にはひどく身につまされた末、全くすがりつくかたちにもなってしまったのだから、単にその影響下のものを書くと云う楽しみがある点は否めない。そしてこの極めてプリミティブな形式は、それだけに一個人のしがない身辺話が私小説になるか下手な自分史の類に堕すか、書き手の客観性の塩梅で見事に分かれてしまう。謂わば誤魔化しの利かぬ実に潔よい(原文ママ)スタイルであるのに気が付いた故もあろう。

 

 この一編には、他、一般小説を書いたが採用されなかった話なども書かれており、西村が、いかに読者が好みそうな小説こそ「小説」と捉えていたかが良く解る文面である。なんとなく、この一編を通して読むと、本当は、こんなものが書きたくて書いているんじゃないんだよという空気も感じられる。

 しかし、私がいた(すでに私は離脱)一派では、そのような風な、西村の言葉を借りると「書き手の客観性の塩梅」をするのは止めようという話になっている。以前書いた、私の2人の師匠は「私小説家」であるが、ドロドロした私小説は、都会の洗練さがない、垢抜けないということになっている。

 私の師匠の一人は、まだ娯楽文学賞の登竜門だったときの直木賞を受賞しているが、結局は、売れる本を出しながらも、その見返りとして、売れない私小説を10年に1編くらい出していた。そして、それを自分の文学作品の最高峰と言っている。

 その師匠いわく、売れる本と売れない本の違いは、「読者の方を向いて書いたか文学の神様の方を向いて書いたか」の違いであるという。この表現、西村が上述している「私小説になるか下手な自分史の類に堕すか」に通ずるものがあるのではないか。

 作家が売れる本しか出さないと苦言を呈する出版社だけでなく、実は作家自身も目的は同じであり、「読んでもらうこと」である。誰も読まない文章は書いていないに等しい。それでも、売れない本が一定数、出版されているということは、つまらなくても読む人がいるということである。

 さて、私小説といえば、生前、車谷長吉先生に会ったことがある。ちょうど彼の作品が映画化された直後で、その映画が映画賞を獲った。そのとき、主演女優が授賞式のインタビューで、私、車谷チョウキチ先生の大ファンで、私の方から先生に映画化を打診したんですと「車谷チョウキチ」を連呼した。

 これを見た車谷先生は、「私の名前は車谷チョウキツで、車谷チョウキチではない」と、これまた、かなりしつこく言っていた。そして所詮、ドロドロした私小説を読みたい読者は、作者の名前を間違えても平気な人たちなんだろうなと思ったのを覚えている。

 

 

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