遺書。

死ぬまで生きる。その記録です。毎日、午後9時更新。

意に沿ってやろうか。


 不愉快でBlogを書く気分ではない。保健師さんに電話をしたら訪問看護から電話が多いと苦情があったと言われ、通院したら主治医には訪問看護から電話が多くて参っていると苦情があったと言われる。

 こういうことを言う訪問看護の看護師さんは1人しかいなくて、こっちは苦しくて仕方がなく電話をしているのに、あるとき、訪問に来たら、こう言われたことがある。

 「保健師さんのプライベートの電話番号を知っているんですか?」

 はぁ? である。何でですか? と訊くと、電話が架かって来ないときは架ってこない、それは保健師さんに架けているんでしょう? 苦しいから架けてきてるんじゃなくて構って欲しくて電話をしているんでしょう? と言う。

 私は、いわゆるカマッテチャンではないし、むしろ他人との距離は遠いと言われている。遠いというより距離を取るのが苦手なだけなのだが。また、他の看護師さんが電話に出るときは苦しさを表出するのは大事です、SOSを発するのは大事ですと言われる。

 ちなみに、その看護師さんが書いた看護計画書には、こういう文言もある。

 受容的な態度で関り安心感を与える。

 私が構って欲しくて電話をしてくるというのは、ずいぶんと意地悪な見方だなと思う。そんなことで架けてきているのでないことは話を聞けば判ることであり、つまり聞く耳を持っていない。

 実際、先週の通院で薬が変わってから楽になり、それから1度も電話を架けていない。定時の間に1回だけ電話を架けてきていいと言われているが(そのくせ24時間加算を取っているのだから上の暴言と言えるものも含めて代表者に苦情を上げるべきだろうか)昼に1回だけの電話なんて緊急電話の意味をなさない。

 その看護師は明日、来る。実際、電話がなくなったことを、どう捉えているのか、徹底的に追及してやろうかと思っている。それでも「構って欲しくて電話をしてくるんでしょう」と言うのだろうか。電話をした私が悪うござんした、もう二度と電話をしないと宣言しようか。

 今日は命の危機70%。

 

 

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