遺書。

死ぬまで生きる。その記録です。毎日、午後9時更新。

久しぶりに恐怖に襲われる。

撮影データ
日時:2023年02月19日17時30分
ボディ:PENTAX K-70
レンズ:smc PENTAX-DA 18-270mmF3.5-6.3ED SDM の135㎜端
絞り:f5.6(解放)
シャッタースピード:1/100s(Auto)
感度:ISO 3200(Auto)
(プログラムAE)

 

 昨日の夜は気管から上だけが吐き気がする感じで苦しくていられなかった。訪問看護に電話をするが声が出ない。ずっと戻しっぱなしということではないので心配しなくて大丈夫ですよと言われるが収まるのに2時間かかった。

 それで寝るのが遅くなったうえに、また今朝は午前3時ごろに目が覚めて眠れない。もう蓄積された寝不足でボロボロである。しかし例によってジリジリしていられない。酒で寝たいが、もう食道や胃が限界である。

 飲んだとは言えないほどのごく微量のビールを飲んで気を緩め、このBlogのタグ打ち。例によって調子が悪いのでロクな仕事ができていないと思うが、やらないよりはマシである。

 そして午前11時に少し早めの昼食を摂って横になる。やっと少しウトウトできるかもしれないと思ったら、恐怖に襲われた。得も言われぬ恐怖で、何に対する恐怖というのがないのが困ったものである。

 とにかく目が覚めてしまい眠ることができない。しかし寝不足から来る疲労でボロボロであるし、寝たくて寝たくて仕方がない。訪問看護に電話をすると私の担当者でない方の、以前、私を威圧した人が出て、結局は何の問題も解決しない。

 私の話を聞いて、手は尽くしたというようなことを言われる。電話をしてくるなと言われて最終手段になっているのだから、やることをやっているのは当たり前である。そして、何かすると眠れるようになると思いますというようなことを言われ、さっきもBlogのタグ打ちなどをしたから恐怖に襲われたがウトウトできそうになったのだと思う。

 それからは悲惨である。眠くて起きて机に向かうが本はおろか新聞記事、Twitterのツィートひとつ読むことができない。それだけ眠いのに眠れないのだ。コンビニに行ってコーヒーを買ってきても変わらない。色々と食べてむしろ過食である。

 外では右翼のデモ行進らしいシュプレヒコールが聞こえる。こっちはボロボロでデモ行進なんてできないんだぞ。そういう健康やデモ行進ができる環境というのが非常に羨ましく感じる。

 先ほど訪問看護に電話をしたときから思っているのだが、人間、環境などの外的要因のせいで上手く行っているのに、それを自分の努力や実力のせいだと思いがちである。電話を受けた訪問看護の看護師さんは大学にも行っている凄い人というような報じられ方もするが、それは学業と両立できる仕事があるからでもある。

 私も専門学校時代、首席だったといっても、それもアルバイトをしないで学業に励んでいられる環境があったからで、頭が良いとか猛勉強したからという自分の努力だけでなく、猛勉強できる環境があったせいでもある。

 今、飛び出して目の前のデモ行進に参加したくても(まぁ、右翼なら参加できないが)ボロボロに疲れていてシャワーも浴びられず、きっと身体からはホームレスのようなにおいがするだろうし、それはつまり、健康という環境にないからである。

 健康も運である。以前、ちょっと書いた、脊椎損傷をしたTwitterのBlog仲間であるが、母親と険悪になったら面倒を見てくれないそうである。それはつまり脊椎損傷をした不運や、その母親の元に生まれた不運である。

 そんなことを考えながら、今は、まだ午後4時である。朝の3時から起きていると1日が長い。そして、その長い1日、寝不足で何もすることもできなければ休むこともできないのだ。そんな不運を呪って、今日は終わりにする。今日は命の危機65%。

 

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