遺書。

死ぬまで生きる。その記録です。毎日、午後9時更新。

厭世観。

 厭世観とは少し違うのだが、ここのところ、何か生きているのが嫌で嫌で仕方がないのだ。

 今朝は、少し寝不足かな… と思ったが、コロナウィルス感染症の症状が消えて肉体的には楽である。

 しかし、どうしても起き上がる気がしない。コロナウィルス感染症に罹る前から起きるのが辛く、ちょっと無理をして起きようと思ったのだが、起きる気がしない。

 起きられないので訪問看護も来るのを1時間遅らせて正午にしてもらう。それでも、起きるのが苦しい。

 食べ物を食べる気もしなければ何もする気もしない。目が覚めてからトイレに立って薬を服んだだけである。

 手元にスマートフォンがあるのだが、それを見ようという気もしない。どこか外出したいと思わないまでも、スマートフォンさえ見る気がしないとは。

 美味しいものも食べたくないし、本当に生きているからには何かしたいということがないのかという感じ。

 実は、この文章を書くのも、字を絞り出すようにして、やっと書いている。

 明日は今年初の受診で、コロナウィルス感染症に罹る前から不調で何と1ヶ月もシャワーを浴びていないので、無理して浴びる。

 訪問看護に、耳の後ろなどが爛れていると心配されるが、それどころではない。また、アカギレみたいになるのだろうな。

 体の節々が痛いが、これはコロナウィルス感染症の後遺症かもしれない。ただ、疲れてシャワーが浴びられないということがあるかと思ったが、それはなかった。

 今、午後7時である。ちょっと早いが、今日は、この辺で休む。本当は、体力が付くように少しでも長い間、起きていようと思っているのだが、ちょっとそれどころではない。

 かつてのBlogで、私が漲って書いていると読者である自分もワクワクするとコメントをくれた人がいて励みになっていたのだが、なかなか、それとは、程遠い状態にある。

 自分でも悲しい。

 

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