遺書。

死ぬまで生きる。その記録です。毎日、午後9時更新。

天涯孤独を噛み締める新年。

 ここ数日のBlogを見てみたらコロナウィルス感染症で体調が悪くて内容だけでなく誤字も酷い。昨日は食欲もなく年越し蕎麦も食べずに寝てしまったので(といっても昼間から横になっているし、苦しさで眠れないから、眠れているかどうか、よく判らない)今日は元日だという実感がない。

 私の行きつけの喫茶店は大晦日までと正月2日から営業なのだが、今年は感染症のせいで昨日から行く楽しみもない。そもそも元日だという実感がない理由のひとつに初詣に行かないということもある。

 私の地元の白金氷川神社は、きっと氏子に八芳園などがあるからだろう、立派な宮づくりの建物であるが、マンションの建設ラッシュで氏子が増え参拝に3時間ちかく待たされる。この健康状態で長時間、新型コロナウイルスをバラ撒くわけにもいくまい。

 私は年末のうちに、ある程度、年度の〆のような作業をしてしまうのだが、それもしなかった。私の収入は障害基礎年金だけなので非課税であるから、なぜか親から相続した4,000円の株の配当などから天引きされている所得税の控除申請をしている。

 税額的には200円程度だが、1円でも税金を取られていると非課税にはならないので、これは確定申告をして取り戻さなければならない。さらに今年は母が死んだ分の未支給年金や、他の証券なども相続していて、どうしていいのか途方に暮れている。しかし、手続きをしないと東京都は非課税だと自立支援医療の自己負担額がゼロになったり、区から何万円も助成金が出るので、けっこう大きいのだ。

 今日も1日、TVも観ることなく横になって過ごした。何もしないと暇を持て余さないかと思うが、とにかく辛くて、暇どころではない。スマートフォンを掴むことができず、まして画面をONにして顔を向けるなどということができない。

 無理してFacebookなどを見ると、孫が来た、娘が帰ってきたなどという話ばかりである。何回も書いているが私には係累がいない。あまりに親戚が多い自慢話が煩いので、良いですね、私には親戚がいないから羨ましいと嫌味を書いたことがある。そうしたら、また、そういう嘘をと書かれる。

 絶対に自分でも親でも、兄弟や配偶者はいるはずなんだそうだ。私は父の家系が複雑で親戚がいないし、母方も、唯一の、ならず者の叔父がアル中で死んで2・3年くらいだろうか。そして去年、母を亡くしている。そういうことを書いても、またまた、戸籍を見れば絶対に存命の親戚がいるはずだとしつこい。

 去年、母を亡くして、相続のために戸籍を集め回ったが、2親等を見ると、もうそこで全て除籍である。さらに、ウチは代々東京なのだが、その先を取り寄せようとしても区役所から出てくるのは「戦災のため焼失」という書類である。

 なんか暗く落ち込んでしまった。購読リストに入れてあるブログを見ても、コメント欄は知っている人の新年の挨拶などがあるのに、私にはないのねと思ってしまう。訪問看護からも様子伺いの電話もない。昨日、はてな村の住民でない人にコメントを貰って、ものすごく嬉しかったが、それでも、やはり私は孤独なんだという思いが消えない。

 私は子供のときから、キチガイである両親に交友関係を一切、絶たれてしまった。誰も遊んでくれず、トイレで独り泣いていたのを覚えている。今、唯一、友達と言えるのが、弁護士として世話になっている中学の同級生だけなのだが、これも、友人ではなくて依頼人として付き合っているのかもしれない。

 さて、ここ数日、食欲がない。都から配布されたコロナウィルス感染症感染者向けの食糧からダイエットゼリーなどを細々と食べていたのであるが、それで、まったく腹が空かない。久しぶりにコンビニに行っておにぎりを買ってきたのだが、食べられないことはないが、まったく味がしない。

 何もする気がしないし、出掛けようという気持ちもないし、いったい、何が楽しくて生きているのだろう。話し掛けようにも相手もいない。こんな人生、早く終わりにしたい、そんなことばかり考えている。

 

 ランキングサイトに参加しております。

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村 メンタルヘルスブログ メンヘル日記へ