遺書。

死ぬまで生きる。その記録です。毎日、午後9時更新。

はつ恋。

撮影データ
日時:2020年12月24日13時40分
ボディ:PENTAX K-3
レンズ:HD PENTAX-DA 20-40mm F2.8-4 ED Limited DC WR の40mm端
絞り:f5.6
シャッタースピード:1/100s(Auto)
感度:ISO 200(Auto)
(絞り優先AE +5/3 EV)

 

 酔ってベロンベロンになって、これを書いている。缶ビール500㏄7本目だ。かつて、私が私淑している作家が、幸い、アルコールは入っていないので書けると書いていたが、私は私自身の状況が判らない。他方、向田邦子先生など飲み会の最中に原稿を書いて電文送稿していたと聞くから、まだ私は甘いなと思う。

 今朝も恐怖とともに目が覚め、しかし、休日なので正午過ぎまで横になっていた。しかし、なんとしても動きたい。そう思ったときに、やはり思い付くのは酒の力を借りることである。

 もともとはカクテルやウィスキーを飲んでいて、先日もバーでカクテルを飲んでいたが、普段は、不思議とビールしか飲めない。幸い、コンビニが近所なので、余らせることがないよう500mlの缶を2本づつ買ってきている。

 そして、ふと、恋がしたいなと思った。ご存じの通り、私は50歳で独身である。若いときに好きな子ぐらいいたが、キチガイ母に非難されて、誰とも付き合うことはできなかった。

 最初に好きだった子は、中学時代、私の成績は良かったのに生徒会活動などは何もしない私を気遣って担任が風紀委員長にしてくれたのであるが(私が風紀というと違和感があるが)、そのとき、他の何かの委員長だった子である。

 私は、対人関係自体で奥手であるから、親しく名前を呼ばれると、何かドキッとした。明らかに好意が含まれている呼び方であったが、私は好意を伝える暇もなく卒業を迎えた。

 高校受験が腸過敏症で失敗したくらいだから、そのときは精神状態が正常でなかった。卒業後に手紙(確か葉書)を書いたが、転居先不明で返ってきた。そして、そのときの恋が成就していたら、精神状態が荒れた時代を乗り切れるかも考え、どうなっていたのだろうかと思う。

 酔っているせいか、なんか続きがまとまらなくなってきたが、まぁ初恋が成就するとは思えないが、それからも恋愛が成就したらどうだったのか。加えて思うのが、青少年時代には、憧れのアイドルというものが存在する。

 私は当時、娯楽を限られた家にいたので、アイドルというと、本を読むことしか許されなかったから、せいぜい、いわゆる角川三姉妹であった。ただ、角川映画とは、どうつながっているのか判らないが、原田知世さんの「彼と彼女のソネット」という曲が好きだった。

 これは大貫妙子さんがフランス語の原文と違う詞を付けたもので、原題としては「パパ、行かないで」というような意味の詩になるらしい。そして、私は原題を、オーディション番組で出てきたばかりのプリシラ・ベッティというフランスのチャイドルのYouTubeで聴いた。

 


Prissou

 

 ごめんなさい、酔っていると書くのも辛い。どうして酔っていると話が長くなるのか疑問だ。私が若いころ、異様に広末涼子さんのファンが増えた。多分、それに近い存在だと思う。私は、その技巧と熱心さに夢中になった。以下、機会があれば後述。

 

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