遺書。

死ぬまで生きる。その記録です。毎日、午後9時更新。

感情から解放されたい。

撮影データ
日時:2020年12月05日14時40分
ボディ:PENTAX K-70
レンズ:smc PENTAX-DA 18-270mmF3.5-6.3ED SDMの48mm域
絞り:f4.5(解放)
シャッタースピード:1/100s(Auto)
感度:ISO 2000(Auto)
(プログラムAE)

 

 なんか妙な気分だ。もう数時間、机に向かっているが、Blogが全く書けない。昨日のエントリーも思ったことが書けなかったのだが、日記は普通に書くことができた。私は日記とBlogを別けて考えているのだが、今日は、このBlogも日記を書くつもりで書いてみようと思う。

 昨日は、いつもより寝付くのが2時間ちかく遅かった。そして、寝付いてから1時間で額だけから汗が吹き出して目が覚める。寝ながらも暑いと思ったのか肩を出して寝ていたのだが、それを止めて、代わりに靴下を脱ぐ。

 そして、また1時間も経たずに目覚め。朝の連続テレビ小説「舞いあがれ!」で、先日、主人公が初めてプロペラ機で空を飛ぶシーンがあったのだが、もう30年前の自分の自動車教習のときをリアルに思い出してゾッとしてしまった。

 それから悪夢に魘され続ける。長文のメモが取ってあり、例えば「泥棒の濡れ衣を着せられる」などと書いてあるのだが、今になると、ちょっと思い出せない。とにかく、熟睡できなかったのだけは事実だ。

 寝ながら、こんなことも考えた。こんな、普段は感じないことをリアルに感じていたら統合失調症になってしまう。しかし、統合失調症は脳の変性による病気だというから、私には統合失調症の要因があるのか。

 実際、初めて車を運転したときは、命が自分の手に掛かっているという責任感から来る怖さが恐怖にまで昂じたのだが、私が通っていた山手線田町駅の線路沿いにある三田自動車練習所というところは、教習コースに六本木や渋谷があったので、そんな恐怖は、すぐに和らぎ、20年前に止めたが都内だけでなく旅先でも平気で運転していた。

 そんな、克服した恐怖、まだ感じたことのない恐怖、それらが、まるで、今、感じているように思えるのだ。そして目が覚めても収まらず、かといって身体が動かず腕時計さえ見られず、恐怖に怯え続けていた。身体が動かないこと自体も恐怖だった。

 午前11時に訪問看護が来る。時間を遅らせてもらうようSMSを入れたのだが間に合わなかったようだ。あれだけ入院を勧めたのに… 的なことを言われるかと思ったが、それはなかった。ただ、私も本当に調子が悪くて、何を話したのか、ほとんど覚えていない。

 そして、これを起きるキッカケにして… というようなことを言われるが、食事をったら具合が悪くて横になってしまった。そして、明日の午後2時に電車で30分ほどのところで税理士と会わなければならないのに、シャワーを浴びて、その時間に行けるのかと不安になる。

 不安というと何か軽いが、本当は恐怖である。そして、昨日も書いた妙な倦怠感がある。やっとスマートフォンに手が届いたのは午後1時半。明日、この時間に起き出して着替えて出掛けたら遅刻である。そう考え、また恐怖に襲われる。

 しかし、やっとの思いで午後3時半にシャワーを浴びた。午後1時半からBlogを書こうと思っていたのだが1文字も書けなかった。参考までにと他の人のBlogを読んでみても、まったく身が入らない。30秒も持たず、内容やアイデアを取り入れるまで及ばない。

 そして今は午後8時。以前、書いた、原稿用紙を埋めればいいものではないと怒られた話ではないが、なんとかBlogを書くだけは書いた。しかし、自分でも、つまらない文章だなぁと思う。文章に“流れ”がなければ主義主張もない。こんなものを他人に読ませて良いのかと思う。

 そして、相変わらず死にたい気持ちが強い。この死にたい気持ちも、いつもの死にたい気持ちや、鬱病から来る落ち込みとか希死念慮とは、ちょっと違うような気がする。切々に死にたいというのではなく、運よく死なないだろうかといったような妙な感情だ。その原因は、朝からの恐怖と苦しさであることには変わりはないのだけど。

 今日の命の危機65%。直截的に死にたいとは思わないのだけど、不安とか恐怖という感情から解放されるために死にたいと思う。末筆ながら明日は外出のためBlogに力が入れられないかもしれません。

 

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