遺書。

死ぬまで生きる。その記録です。毎日、午後9時更新。

バイタルサインと心の健康。

撮影データ
日時:2020年11月23日15時20分
ボディ:PENTAX K-70
レンズ:smc PENTAX-DA 18-270mmF3.5-6.3ED SDMの135mm域
絞り:f5.6(解放)
シャッタースピード:1/200s(Auto)
感度:ISO 800(Auto)
(プログラムAE)

 

 今日は訪問看護が来た。今日は、この人に嫌なことを言われたという話ではなく、バイタルサインが良いと喜ばれたことだ。

 今日は、昨日か一昨日は限りなくゼロに近かったFitbitスマートウォッチによる「深い睡眠」が2時間を超えた。2時間を超えたのは1ヶ月ぶりくらいではないだろうか。

 そして訪問看護。看護師さんがバイタルサインのチェックをしたところ、血圧も良いし、何より脈拍が安定しているという。

 私は頻脈で通常時の心拍数が100を切ったことがなかった。それが11月18日の訪問時から普通の脈拍数を記録するようになったという。

 朝から辛く、かといって血圧を測るという大仰なことはできないので、やっとの思いで嵌めているFitibitスマートウォッチを見ると、脈拍が70とか、かつて経験したことがない低さを示していた。

 確かにここ数日、身体の強張りというようなものは感じない。しかし、それで楽かというと楽ではない。やろうと思っていることができない苦しさというのは、意外と大きいものだ。そこでまた、前主治医のクズ医者のことを思い出して腹を立てる。

 しかし苦しくて動けず、今日も訪問看護が来たついでに食事は摂れたものの、午後4時半にシャワーを浴びるまで動けなかった。

 ちょうど1週間ぶりのシャワーで、頭をガシガシ洗いたいのだけど、どうも頭が痛くて洗えない。それも、痛すぎて頭皮が痛いのか頭痛なのか判然としない痛みだ。

 結果、力を入れて頭を洗うことができず、シャワーを浴び終わったときから既にフケが落ちている始末。今でも頭を触ると痛みが走る。触れただけでビリビリと痛むのだ。シャワーを浴びるのに、いつもの倍近い時間が掛かる。

 訪問看護には、苦痛の訴えも以前ほど激しくなく、せっかく弛緩しているのですから体を休めてくださいと言われるのだが、なかなか休まらい。

 そして、弛緩しているというと、書く文章に“まとまり”がなくなった。なんか、それはそれで、精一杯、生きているというような充実感がなくて、精神的に休まっているとは言い難い。

 今日の命の危機70%。あまり積極的に死にたいという気持ちはなくなったが、これだけ苦しくて何もできないと生きていて意味があるのかと思う。

 

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