遺書。

死ぬまで生きる。その記録です。毎日、午後9時更新。

「頭がおかしい人」を生きる。

撮影データ
日時:2020年11月08日15時10分
ボディ:PENTAX K-70
レンズ:smc PENTAX-DA 18-270mmF3.5-6.3ED SDMの63mm域
絞り:f5.6(解放)
シャッタースピード:1/20s(Auto)
感度:ISO 3200(Auto)
(絞り優先AE)


 昨日の苦痛が少ないときから比べると、だいぶ体調が戻し、苦しんだ。私は午後8時に眠剤を服むのだが、夜中の午前1時30分に眠気が来ないので残薬をチェックしたら、朝の薬を1回分、服んでいない。まぁ、昨晩は服んだから大丈夫と、数を数えるのも億劫な朦朧とした頭で考える。

 それにしても、今日は眠れないと午前4時に長文のメモを残しているのだが、Fitbitスマートウォッチによると、その間、しっかり寝たことになっている。寝ても覚めても苦痛というか、寝ているときも苦痛で、もう意識があるのかないのか自分でも判らない。

 午前8時から何度も何度も無理して起きようと努力しているのだが起きられず、結局は起きたのは午後1時ちかくだ。無理をし過ぎて、コンビニの微アルコール飲料のクーポンが配られていたので、それを引き替えようとして普通に買ってしまったり、ロクなことをしていない。金を出しては買わないものだ。

 昨日は頭を洗ったので今日は散髪に行こうと思っていたが、到底、無理だ。せめても喫茶店に行こうと思うが、足が地表の感覚を掴まず、進むために足を前に出して地面を手繰り寄せている感じだ。そのため、思ったより地表が低いのに足が届かず倒れそうになったりする。

 それでも今日は朝から頭の中で音がしている感覚がない。訪問看護に言われているように大丈夫と自分に言い聞かせるが(言われなくてもしている自分に、気が付いてはいる)、大丈夫ではないことは火を見るより明らかだ。例えば、時計の電池がなくなったので交換しようと思っていて、ほとんど、そのために外出したようなものなのに、時計自体を忘れた。

 さて、喫茶店でも変だ。Instagramのプライベートのアカウントに自撮りをアップしているが、なんか画面が鮮明でなく、眼鏡が曇っているのだろうと思ったら盛大にピンボケをしていた。

 そして、頭が混乱したのは店員さんに名前を呼ばれたからだ。この人、前から私のことを名前で呼んでいたっけ? この店に通い始めたときは、顔を覚えてもらおうと積極的に自分の名前をアピールしていたが、それでも名前を呼ばれた記憶はない。

 そして、私も変な人で、母が死んだ頃か、本当に命の洗濯をしたと思ったときがあって、何か礼を言わずにはいられない気分になり店に手紙を書いたことがある。この辺から、店の人にとっては気持ちが悪い客だったろうと思う。女性の店員に、進んで挨拶されなくなったのも、このころのような気がする。

 そう思うと、あぁ、私は頭がオカシイ人だと思われているのだろうなと思う。以前、会計をするときに私の自動車運転免許証を見て免許証をお持ちなのですねと言われたのも、なるほど、そうかと思う。しかし、手紙を書いたりしたのも私だし、私は、そういうことをしながら生きていくしかないのだと思う。

 今日の命の危機65%。やはり死を目前にはしていないが、激しい苦しさから来る、死んで楽になりたいという気持ちはある。

 

 ランキングサイトに参加しております。

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村 メンタルヘルスブログ メンヘル日記へ