遺書。

死ぬまで生きる。その記録です。毎日、午後9時更新。

今日、最後のエントリー - 死ぬほど苦しい。

 さすがに1日4回の更新は苦しい。まるで1日を通してラジオの生放送をしているみたいだ。そして、死は想定の範囲からは外れたものの、今も相変わらず苦しんでいる。

 今日の今までの更新は、こちら。

死ぬほど苦しい。

今日2つ目のエントリー - 死ぬほど苦しい。

今日3つ目のエントリー - 死ぬほど苦しい。

 

 あれからシャワーを浴びた。もう夏の暑い時期も1週間に1回となってしまっている。今日も朝、訪問看護が来るので着替えて頭に櫛を入れたらフケがパラパラ落ちて気持ちが悪かった。

 以前も体調の加減で、たしか週に1回しか入れなかったことがある。前任の主治医に掛かっていて心臓が針の筵の上で転がされている感じがしたときだ。本当に横になっても心臓がグサッとして、夜も寝ようとして横になるとウトウトしただけでグサッと来る。

 そのような訳でシャワーを浴びる間も心臓が刺すように痛むし、私は髭を風呂に入ったときしか剃らないのだが、もう肌も抵抗力がなくて髭を剃った跡がカールおじさんの髭のように白く肌が浮いた。

 その、前任の主治医は、心臓がグサッと来る感覚もゴロゴロしたいための言い訳だと言い、肌が浮くのも、たまにしか髭を剃らないからだと言う。今、週に1回しか髭を剃っていないが、そのように浮き出ることがないので、やはり、たまにしか剃らないからではない。

 そもそも、本当にあの頃は週に1回しかシャワーを浴びていなかった(=髭を剃っていなかった)のか。なんか、週に1回しかシャワーを浴びられていないのは、実は今回の死にそうな苦しさが始まってからのような気がする。

 前任の主治医について、もう1段落だけ書くと、それで心疾患として救急搬送されるようにまでなり、私は、この医者は駄目だと思って主治医を変えた。ちなみに、その前任の主治医は今は開業しているが、その「頭の固さ」はGoogle マップのクチコミに散見というより膾炙している。

 さて、今日、訪問看護に、やることはシャワーを浴びるだけだと思ったら楽になりませんか? と言われたのだが、健康なときにザーッとシャワーを浴びるのとは違う。私だって昔は会社勤めをしていたんだぞと、また言いたくなる。

 そして、シャワーから出たら、耳鳴りは多少、良いようなのだが、発汗は引かない。むしろ、身体全体から汗が出るので、身体を拭いても乾かず、着替えがペタペタくっつく。薄着をして風邪を引いたのか咽が痛む。

 しかし休まらない。シャワーを浴びたら夕食の時間なので、横になってもいられない。夕食を調達して食べる。味覚を、ほぼ感じなくなって(温度感覚と口当たりだけ感じる)味わう楽しみがなくなったせいか食べる量と体重が増えた。

 本当に食べても食べても満足できないのだ。味覚を感じていたころは1日の摂取カロリーが2,000㎉程度だったものが、今は2,700㎉程度になっている。それだけ食べても、まだ満足感がなく、口寂しい。食べるものも変化した。私はパンが好きでコンビニで買って食べるのだが、サンドイッチを買うのが勿体なくて菓子パンに偏向するようになった。

 そして夕食を摂ったら、もう寝る準備をする時間だ。滝のような汗は引いたが、相変わらず頭がガンガン痛く、今は、昨日までに書いた、音、特に歯を噛み締めたときの音が耳の奥から頭の中に響く感じに悩まされている。それにしても未だに神経が持たない。2分が限度で、この文章も通して読めない。

 相変わらず苦しいが、昼までのように「死ぬほど」という修飾語は必要ないかもしれない。今日の命の危機65%。明日からは、いくらアクセス数が増えても、1日1回の更新で、その代わり、もっと洗練されたものにしようと思った。