遺書。

死ぬまで生きる。その記録です。毎日、午後9時更新。

やっていることがチグハグ。

 朝から死にたい気持ちが強い。どうしても抑えきれず訪問看護に電話をすると、酒を飲んだせいだと言う。この人たち、何事も「気の持ちよう」か「酒のせい」で、知人に酒を飲まない日が続いたけど同じことがありましたよねと言われる。悪者を見付けて、すべて、そいつらのせいというのは、なんか幼稚じみている。

 日曜日からシャワーを浴びていなくて、フケがバラバラと落ちてくる。シャワーを浴びたいが、ボロボロに疲れ果てていてシャワーを浴びる気がしない。死にたい気持ちが強いのなら死ぬつもりでシャワーを浴びるというのを、よくするのだが、今日は、浴びる前に既に死にたい。

 それでも無理してシャワーを浴びる。しかし、疲れ果てていて、頭を洗おうとしても手が動かせない。シャンプーとリンスを間違えたり、やることが滅茶苦茶である。シャワーを浴びるときに給湯器を付けるので、それから出る湯を沸かして湯冷ましを作っておくのだが、湯冷ましを入れておくポリエチレンのポットを火に掛けてしまったりする。

 そして、コンビニにコーヒーを買いに行って、クーポンがあるのに使うのを忘れる。頭が回っていない感じがする。今日は通院なのだが、外出するのが怖い。いっそのこと早く出てしまって楽になろうと思い、午前中、まだ空きがあるかとクリニックに電話をするが、午前中の診察は終わっているとのこと。

 さて、私は日常生活で世話になっている人が2人いる。1人は保健師さん。この人は私のことを真剣に考えてくれていて、昨日、朝、身体が冷えて風邪を引いているという状況が伝わらなかったと書いたが、今日、電話を架けたら、向こうから、この時期、健康な人でも体温調整が上手く行かないことがあるから、そういうことがあるかもしれないな… 自分の健康管理が駄目だとか思わないようにねと言われた。

 もう1人は、「盟友」と言ってくれる山姥さんだ。今は大分、自分の時間を取ってもらえるようになったが、母が死んだ直後の死ぬほどの苦痛に襲われた時期など、本当に起きてから寝るまで、TwitterのDMでリアルタイムに面倒を見てくれた。ただ、やはり彼女も病人なので、昨日はかなり辛かった様子。私も辛くて、自分という存在が申し訳ないと思って死にたくなった。

 他方、世話になっていることになっているのに世話になっていないと思う人というのがいる。訪問看護だ。週に3日、3日とも違った人が入っているのだけど、1人は、冒頭の、何事も気の持ちようという人。1人は、人間は黙っていれば怠けるものなので私が怠惰だと思っている人。3人目は、私が構って欲しいから訪問看護を頼んでいると思っている人。

 これは既述のような気がするが、もう1回、書く。その3人目の訪問看護は30代の男性なのだが、最近、土日の電話がないようですが、土日も保健師さんが相手をしてくれるのですか? と言う。それは、今にも死にそうなときに比べたら今は楽なので必要を感じないからであるが、「だって電話は構って欲しいからしてきている訳でしょ」などと言う。

 さて、今日は何とか通院した。ほぼTwitterのDMで盟友の世話になりながら。以前、副作用が出た薬が再度出されたのだが、他の薬と勘違いしていて、これが出たよと言ったら気付いてくれて事なきを得た。そして、これだけの思いをしたのだから寄っても良いかなと思い喫茶店に寄ったのだが、死にたい気持ちは、さほど改善しなかった。