遺書。

死ぬまで生きる。その記録です。毎日、午後9時更新。

死にたい気持ちとの戦い。

 以前、あまりに苦しく、したいことが何もできなく、生きている意味がないという旨を投稿した。

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 苦しくて、したいこともできないのなら生きている意味などないと書いているのに、長文で

自分の生きる意味を自分で付けるのが生きる意味!
各々の生きる意味は自分で考えて実践するのみ!
そこに個性が生まれるのではないでしょうか!

 という頓珍漢なコメントを貰った(リンク先を見てもらえれば判るが、したいことができないと書いているのに、この人は、したいことがないそうで、それを見付けるべきだと力説)。本文を読んでいないようで、しかもまるで説教で、自分に酔っているようで腹立たしい。

 さて、ここ数日、朝、起きると冷え切っていて風邪を引いている。室内は蒸して暑いのに、である。最初は汗をかいているのかと思ったが、そうではない。保健師さんに相談すると「それは窓を開けているからとかではないんですか?」と言われる。

 緊張していると寒気がして手がかじかむときがあるというが、それに近い状態だと思う。しばらくすると室内の温度に馴染んで暖かいと思うようになり、やがて暑くていられなくなる。

 しかし、そういうことも通じない。この保健師さんは、得も知れぬ恐怖を感じたとき、それを理解してくれた数少ない人間である。しかし、前述の、したいことが何もできないに加えて、自分の苦しみが誰にも伝わらない。

 そうすると、生きる意味がないどころか、生きていることが嫌になる。誰も自分を理解してくれないのだと思うと死にたい。どうせ、判らないことは適当に括って、単純なことを面倒に言ってくるややこしい奴と思われているのだろう。今日は、そういう気持ちとの戦いだった。