遺書。

死ぬまで生きる。その記録です。毎日、午後9時更新。

感情を上手く言葉にできぬこと。

 今日は珍しく多忙な日だった。まず、訪問看護があり、明日から新しいクリニックに転院となるので自立支援医療制度の変更手続きと、あと、しばらく焦燥感が激しくてジッとしていられなかったので行けなかった散髪に行かなくてはならない。

 訪問看護が午前中にあるので、自立支援医療制度の手続きと散髪は午後に回る予定をしていた。しかし、今朝も緊張が激しく午前5時半に汗をかいて目が覚める。それから、ほんの少しウトウトできたが、また目が覚めてしまう。

 もう、イライラしたので起きてしまったのだが、起きたところで、また焦燥感が出てしまう。そこで、待て、ジッとしていられないのなら、いっそ、区役所まで行ってしまおうと思う。幸い、区役所(支所)まで歩いて10分も掛からない。

 今日は担当の保健師さんが午後は不在ということで、午前中に手続きをできて良かった。色々と話をして保健師さんの見解を聞き、メモ書きまで貰うが、あまり内容は覚えていない。この辺が私の駄目なところで、勉強も、まず本でして、判らないところを先生に訊くというスタイルだ。

 午前中に自立支援医療制度の手続きと訪問看護が終わって、さらに時間に余りがある。母の相続の書類で1件、書留で返送しなければならないものがあって、それも、色々と面倒な指示(マイナンバーカードのコピーを切り貼りして加工したうえ所定の位置に貼れとか)があり、チェックをしていなかったのだ。

 チェックするには時間が足りないが、テストではないが、とりあえず埋めるところは埋めた。これこそテストではないので、不備があれば返送されるだろう。明日、適当な郵便局で発送しようと思ったが、今日、行く、床屋の近所に郵便局の本局がある。

 問題は床屋で起こった。主人と、今はコロナ禍で非日常でという話をしていて、非日常といえば、私が、実は母が亡くなってという話をしたところ、主人も奥様を2ヶ月前に亡くしていると言う。

 私は絶句してしまった。典型的な主人が外で働き妻が専業主婦の家庭である。お子様はいない。唯一の家族を亡くしたということに加え、家事が回るのか。どうも、そういう私の考えが伝わったようである。

 まぁ、見よう見まねで鍋を持ったりしてますけどね… という。腎臓が悪くて、塩分か何かを制限されているため、外食などができない人である。そして、やっぱり、いなくなって脱力していると言う。遺品の整理などしようと思うが手に付かないと言う。

 仕事が終わっても家に帰る気がしなくて、閉店時間を伸ばしたりしていると言う。こういうときに人は鬱病になるのかなと思ったりすると言う。ちなみに、主人は私に精神疾患があることを知らない。

 精神疾患知らず、みたいな人の方が、ある原因があって精神疾患に掛かると重症化する。それこそ免疫がないという感じだ。抗鬱剤を服んで、まるで風邪で高熱を出しているときに点滴を打ったように気が晴れたというのは、実は、原因がハッキリしなくて単に脳の機能が悪化しているだけである。

 そういうことも考えても、何というか、掛ける言葉が見付からない。挨拶のように「お悔やみ申し上げます」という言葉も底が浅い気がする。本当に、言うことがなくて悔やむという感じだ。

 それも主人は察してくれて、「まぁ、お客さんもお母さんを亡くされて、立場としては一緒ですよ」と言ってくれた。この言葉の方が、まだ適切な気がする。しかし、逆の立場だとして、「いや、一緒の立場ですね、私が辛いので、お気持ち、よく判ります」とは言えない。

 俵万智「サラダ記念日」に

やさしさをうまく表現できぬこと許されており父の世代は

という有名な句があるが、世代の問題ではなく、曲がりなりにもコトバで口に糊していたことがある身として、こんなときに、気が利かない言葉であっても、何も出てこない自分を口惜しく思ったことはなかった。