遺書。

死ぬまで生きる。その記録です。毎日、午後9時更新。

自分で服装が選べなかったこと。

 小林エリコさんのnoteを読んで思い出したが、私は、子供のころ、好きなように服を選ぶことができなかった。母が私の服装を全て決めていた。それは、独り暮らしを始める20歳まで続いた。

 今になって思うと母の支配欲が強かったのだと思う。私が自分で服装を決めると、そんなみっともない格好をして親に恥をかかせる気かと言われた。母はレナウンの元社員だったので、着るものはすべてレナウンの社販で買ったものだった。

 専門学校を卒業して就職試験を受けるときも、母がレナウンの社販で買ってきたスーツだった。ちなみに私は高校を退学してから監禁生活を送らされていて、成人式には出してもらえなかったので初のスーツだった。そのくせ、良い成人式だったんだっなどと言う母親である。

 そのスーツは、いわゆるリクルートスーツではなく、A.A.Rという、ヨウジヤマモトとのコラボの、いわゆる流行りものであった。型落ちなので会社に安く眠っていたのである。学校には、何だ、そのスーツはと怒られた。

 社会に出てからも、しばらくは服装を自分で決めることができなかった。ホワイトカラーのサラリーマンだったので、スーツにネクタイで良いのだが、例えば、寒いときにコートを着るのに、周りの人がコートを着ていないのに自分が着ていたら「みっともない」のではないかと危惧した。

 しかし、社会人は社会人である。ネクタイやワイシャツは自腹で買わなければならない。そうすると、嫌でも自分の趣味のネクタイを買うことになる。そうしたら、そのネクタイが、趣味が良いと評判になったのである。

 ここで私は自信を付けた。母が、また会社で余ったといってターンブル & アッサーの柄シャツを持ってきたので、「グレート・ギャツビー」に出てくるような格好をして会社に行ったら、ミスター丸の内と、丸の内全体ではなく私の会社の私の部署の中だけで呼ばれるようになった。

 それから、さすがに、そんな派手な格好はしなくなったが、なんとなくブリティッシュトラッドみたいな(みたいなというのは私には詳しい薀蓄はない)格好をしている。自分の服装が定まったのは、社会に出て、しばらく経ってからのことである。

 

小林エリコさんのnote

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