遺書。

死ぬまで生きる。その記録です。毎日、午後9時更新。

精神病の症状は気の持ちようだと訪問看護が言う。

 今日、訪問看護が来た。別の人であるが、月曜日に書いた、電話をしてくるなという話をぶり返された。

 「昨日、私が電話を受けて、動悸がして苦しい、寝ていたいと言われたのですが、寝ていたいんなら寝ていればいいと思うんです」と言われた。

 そのときに話したのだが、私は焦燥感・不安感などがあってジッとしていられないのだ。それを、再度、話した。

 また、動悸という身体症状が出たので電話をしたことも話した。これは、月曜日に来た訪問看護に、心配だから気を付けておいてくださいと言われたことだ。

 そうしたら「それは気の持ちようです、寝る気がないからです、我慢が足りないんです、寝ている努力をしていないのです」と言われた。

 夜、1時間おきに目が覚めて、時には2時間も目が覚め続け、朝はボロボロに疲れ果てている事態にあって、誰が、起き“ない”という“努力”をするか。

 「では、電話を切ってから、どうしましたか?」と言われたので、ジッとしていられなくて、悶え苦しみ起きたり寝たりを繰り返した旨を話した。

 「それは、『何とかなっている』ということです、自分で何とかできるのだから、電話をしてこないでください」と言われた。

 何でもいい、例えば風邪を引いたとしよう。風邪で熱を出して(ちなみに私は、今回、精神症状で発熱もしている)起きていられないとする。

 「それは、起きようとする努力をしないからです、気の持ちようです、我慢が足りないのです」と言えるのだろうか。

 はっきり言って、寝不足でボロボロなのに横になっていられなくて、辛さとしてはインフルエンザで39℃の熱を出しているくらい辛い。

 どうして、精神病から来る辛さだけ、訴えたら「気の持ちよう」「我慢が足りない」と言われるのだろうか。腑に落ちないまま1日が終わった。