遺書。

死ぬまで生きる。その記録です。毎日、午後9時更新。

感情的。

 昨日、書いた、電話を架けてくるなと威嚇? 威圧? した訪問看護と電話をした。「昨日は、あの後、どのように過ごしましたか?」と訊かれ、普通に過ごしたと言ったら安堵していた。友人には、「あなたのせいで気分が悪くなったと言わないなんてジェントル」と言われたが、まぁ、事実は事実として伝えるべきだろう。

 安堵するということは、自分でも言い過ぎた・やり過ぎた自覚があるのだろう。この人は直情型なので、その点は大目に見よう。しかし、続いて言うことが、辛いときは、それを吐き出してもいいんですよ、遠慮せずに電話をしてくださいと、昨日と真逆。え? となる。

 話を持ち帰って保健師さんに相談。保健師さんの意見曰く、僕も考えたんだけど、たぶん、休日だったのがいけなかったのではないんじゃないかと言う。緊急電話だから、本当に緊急で繋がらない人がいたのかもしれないと言う。なるほどである。逆に、なんでそう言ってくれなかったのか。

 この、保健師さんの意見が当たっているなと思うのは、昨日、「礼の電話をするなんて、もっての外」と言われたこと。私にとっては、礼というのは言われるのも言うのも大切である。「あれは緊急電話なんです! 緊急の人が繋がらないと困るじゃないですか!」と言ってくれれば、なるほどと思う。

 感情的になって言いたいことをズケズケ言う、ならいい。感情的になって、本題を見失って、どうするのだ。感情が表に立ってという言葉を耳にするが、感情というのは、物事の本質を隠す作用もあるのだと認識した一件だった。