遺書。

死ぬまで生きる。その記録です。毎日、午後9時更新。

拒絶した人と同じことを言われると、その人にも拒絶されたと思う。

 今朝も、役所が開くと同時に保健師さんに電話をする。朝は最も不安が強く、誰かに話を聞いてほしい。そして、できれば優しくしてほしい。ところが、なぜか知らないが拒絶された気がした。

 スマートフォンには、高校の同級生に、言いがかりをつけ、その癖に金を無心するというタチが悪い奴がいるので、同級生と共同で通話録音アプリを入れている。

 なので、その、拒絶された気がしたときの通話が終わったと「保存」のボタンを押して聞き直してみたのだが、まったく拒絶されている要素はない。

 私と保健師さんの会話に不一致があるとすれば、朝、横になっていようと思うのですが焦燥感でジッとしていられないんですと言って、だったら起きて何かやることと言われた点だけ。

 もし、その点で、私が拒絶したと思ったのであれば、先週あたり、他の施設の人に、ジッとするならジッとする! 起きて何かするなら何かをする! と怒鳴られたことを連想したことだ。

 ちなみに別の機会に保健師さんに電話をしたとき、保健師さんには、こうも言われた。私には決断を急ぐ傾向がある。それは、毒親育ちで決断を迫られてきたことに依ることが大きいのだと思う。しかし、今は、自分はマザコンじゃないんだからと思って直していくことが必要だ。

 結局、今まで、親を始め拒絶された人が多いので、その人たちと同じことを言われると、それは、即、拒絶されたと思う傾向があるようだ。