遺書。

死ぬまで生きる。その記録です。毎日、午後9時更新。

暑いだけで生きているのが嫌。

 土曜日に電話で主治医に不調を訴えたら「早めに来てください」ということで、今日、通院した。新橋から、普段は地下鉄を使って三田に出るのだが、今日はバスで麻布十番へ。

 

 新橋駅前でバスを待ったのは10分弱だが、暴力的な暑さ。そういえば「1980アイコ十六歳」で、夏の日差しは暴力だというような表現があったっけ。そして、刹那な気分になった。

 今日になって実感したのは、何かしそう… と思ったときは、たいがい、死にたい気持ちが昂っているときだ。きっと、自己否定が、いわゆる「破滅の方向」に向いているのだろう。

 

P.S. 土曜日、訪問看護に電話をしたら通院が今日になったので訪問は明日にしますと言われ、今日、明日の訪問予定の連絡があったのだが、調子が悪いから通院が早まったのに「その後お加減いかがですか」もなく、そんなことも私の殺伐とした心に響いた。

希死念慮からアル中へ。

 昨日から、自己否定から来る死にたい気持ちが強く、それを酒で胡麻化している感じ。死にたい気持ちだけでなく不安感も強く、昨日は酒で寝ようと思ったのだが眠れなかった。今朝も早朝、不安で目が覚める。数時間も寝ていない。

 今日は、昼、酒で少し寝たものの、こんなことをしていていいのかと思う。かなり以前、苦しくて無理して酒を飲むと言ったとき、担当の保健師さんに、それはアル中の始まりと言われた。ちなみに1枚目の酒の写真は昨日のもの。

 

 

 結局、今日も苦しさで始まり、苦しいまま終わった。明日は予定を早めて通院することにしている。少しは楽になりますように。

自己否定の塊。

 一昨日の通院時から自分には生きる価値のないという思いに囚われている。一昨日の通院時、私は死にたい気持ちが強くて、かなり無理をして通院した。今も、無理して酒を呷って、これを書いている。

 保健師さんに大人になったら誰も誉めてくれる人がいないんだから自分で自分を誉めてくださいと言われており、自分への御褒美だと迷いに迷った挙句、帰りにエクセルシオールに寄った。

 しかし、そこで死にたい気持ちが高まってしまい、どうしてだろうと思ったら自分はエクセルシオールで食事などする価値のない人間だと思ったからだ。以前、Facebookで高いな… と書いたら、「うん、高いね」と返信が付いたことも理由だ。

 心臓が針の筵の上で転がされている気がしたころ、起きるのもやっとで、1日1食、しかも両親に借金を負わされコンビニの300円の弁当を食べるのがやっとというときがあった。

 しかし、そのときも、両親に「毎日ゴロゴロしていて3食豪華な買い食いをしている」と詰られた。もっとも、そう両親に吹き込み、私に吹き込む輩がいたからではあるが。そして私には300円の弁当を食べる価値すらないと思い込ませた。

 Twitterの(Blogアカウントではなく)個人アカウントの方でツィートしているので貼らないが、ここ数日、不安・死にたいという気持ちが強く、その旨をツィートしている。しかし、自らツィートしておいて、自分の過去ログを読んで初めて自覚した次第。

 Twitterで自ら盟友(同志だったかも…)といってくれる山姥さんに助けてもらっているのは書いたとおりだが、昨日はPCの前から離れて自分のことをするという。やっぱりそうなのだ、自分のことをするのが当然だし、しょせん、自分の相手なんて面倒なことなのだ、そう思った。

 なので、今日、その旨、お詫びを言ったが、否定された。ここ数日、弱気というか自己否定的だと言われた。そんなふうには全く思っておらず、むしろ進んで私のことをしてくれているという(いくら謙虚になっても額面通りに取るにはおこがましいが)。

 最近、親の亡霊に囚われているようである。友達ができると、親は「ツルむのは不良の始まり」と言って友人をdisり、嫌がらせをし、それで交友が途絶えると「お前が駄目だから嫌われるんだ」と言った。

 また、こんなこともある。私は子供のときから芸術分野が得意で、よく県展などに入選していたのだが、「こんなみっともないものを公衆の面前に晒しやがって」と言って入賞作をビリビリに破いた。

 そんな、親に思わされた「私には価値がない」が増殖して、私なんか生きる価値がないというところまで、昂じているようである。

 

P.S. 今日は、そんな山姥さんとのTwitterの遣り取りの中で、互いに自己否定について書きましょうということで自己否定について書いた。山姥さんが書いたものは、こちら。

www.yamauba.work

 

※協調路線を取るために今日は公開を3時間、早めております。

昨日から変。

 寝床でスマートフォンから、これを書いている。薬が変わって初日から寝不足。そして、寝ていようと思っても不安が上がってくる。何もできず、食事も午後1時に、やっとの思いでカップ麺を食べただけ。

 さすがに普段、気圧のせいだと言ってくる人たちも黙っている。訪問看護は酒を飲むなの一点張り(飲む気はしない)。他の人たちも、またかという反応。かくして私は今日、不安に苛まれて横になったまま1日を過ごした。

やっていることがチグハグ。

 朝から死にたい気持ちが強い。どうしても抑えきれず訪問看護に電話をすると、酒を飲んだせいだと言う。この人たち、何事も「気の持ちよう」か「酒のせい」で、知人に酒を飲まない日が続いたけど同じことがありましたよねと言われる。悪者を見付けて、すべて、そいつらのせいというのは、なんか幼稚じみている。

 日曜日からシャワーを浴びていなくて、フケがバラバラと落ちてくる。シャワーを浴びたいが、ボロボロに疲れ果てていてシャワーを浴びる気がしない。死にたい気持ちが強いのなら死ぬつもりでシャワーを浴びるというのを、よくするのだが、今日は、浴びる前に既に死にたい。

 それでも無理してシャワーを浴びる。しかし、疲れ果てていて、頭を洗おうとしても手が動かせない。シャンプーとリンスを間違えたり、やることが滅茶苦茶である。シャワーを浴びるときに給湯器を付けるので、それから出る湯を沸かして湯冷ましを作っておくのだが、湯冷ましを入れておくポリエチレンのポットを火に掛けてしまったりする。

 そして、コンビニにコーヒーを買いに行って、クーポンがあるのに使うのを忘れる。頭が回っていない感じがする。今日は通院なのだが、外出するのが怖い。いっそのこと早く出てしまって楽になろうと思い、午前中、まだ空きがあるかとクリニックに電話をするが、午前中の診察は終わっているとのこと。

 さて、私は日常生活で世話になっている人が2人いる。1人は保健師さん。この人は私のことを真剣に考えてくれていて、昨日、朝、身体が冷えて風邪を引いているという状況が伝わらなかったと書いたが、今日、電話を架けたら、向こうから、この時期、健康な人でも体温調整が上手く行かないことがあるから、そういうことがあるかもしれないな… 自分の健康管理が駄目だとか思わないようにねと言われた。

 もう1人は、「盟友」と言ってくれる山姥さんだ。今は大分、自分の時間を取ってもらえるようになったが、母が死んだ直後の死ぬほどの苦痛に襲われた時期など、本当に起きてから寝るまで、TwitterのDMでリアルタイムに面倒を見てくれた。ただ、やはり彼女も病人なので、昨日はかなり辛かった様子。私も辛くて、自分という存在が申し訳ないと思って死にたくなった。

 他方、世話になっていることになっているのに世話になっていないと思う人というのがいる。訪問看護だ。週に3日、3日とも違った人が入っているのだけど、1人は、冒頭の、何事も気の持ちようという人。1人は、人間は黙っていれば怠けるものなので私が怠惰だと思っている人。3人目は、私が構って欲しいから訪問看護を頼んでいると思っている人。

 これは既述のような気がするが、もう1回、書く。その3人目の訪問看護は30代の男性なのだが、最近、土日の電話がないようですが、土日も保健師さんが相手をしてくれるのですか? と言う。それは、今にも死にそうなときに比べたら今は楽なので必要を感じないからであるが、「だって電話は構って欲しいからしてきている訳でしょ」などと言う。

 さて、今日は何とか通院した。ほぼTwitterのDMで盟友の世話になりながら。以前、副作用が出た薬が再度出されたのだが、他の薬と勘違いしていて、これが出たよと言ったら気付いてくれて事なきを得た。そして、これだけの思いをしたのだから寄っても良いかなと思い喫茶店に寄ったのだが、死にたい気持ちは、さほど改善しなかった。

死にたい気持ちとの戦い。

 以前、あまりに苦しく、したいことが何もできなく、生きている意味がないという旨を投稿した。

font-tokyo.blog

 

 苦しくて、したいこともできないのなら生きている意味などないと書いているのに、長文で

自分の生きる意味を自分で付けるのが生きる意味!
各々の生きる意味は自分で考えて実践するのみ!
そこに個性が生まれるのではないでしょうか!

 という頓珍漢なコメントを貰った(リンク先を見てもらえれば判るが、したいことができないと書いているのに、この人は、したいことがないそうで、それを見付けるべきだと力説)。本文を読んでいないようで、しかもまるで説教で、自分に酔っているようで腹立たしい。

 さて、ここ数日、朝、起きると冷え切っていて風邪を引いている。室内は蒸して暑いのに、である。最初は汗をかいているのかと思ったが、そうではない。保健師さんに相談すると「それは窓を開けているからとかではないんですか?」と言われる。

 緊張していると寒気がして手がかじかむときがあるというが、それに近い状態だと思う。しばらくすると室内の温度に馴染んで暖かいと思うようになり、やがて暑くていられなくなる。

 しかし、そういうことも通じない。この保健師さんは、得も知れぬ恐怖を感じたとき、それを理解してくれた数少ない人間である。しかし、前述の、したいことが何もできないに加えて、自分の苦しみが誰にも伝わらない。

 そうすると、生きる意味がないどころか、生きていることが嫌になる。誰も自分を理解してくれないのだと思うと死にたい。どうせ、判らないことは適当に括って、単純なことを面倒に言ってくるややこしい奴と思われているのだろう。今日は、そういう気持ちとの戦いだった。

今日も調子が悪い。

 相変わらず、夜、眠れない。以前のような滝のような汗はかかなくなったが、汗ばんで暑い。しかし、朝起きたときには寒くて風邪を引いている。Fitbitや自分がLINEで付けている記録を見ると、一旦は寝ているようだが、午後11時ころから30分おきくらいに目が覚めている。しかも、目が覚めている間は、そうやってメモができるほどの目覚めだ。

 今日も、そのような理由で寝不足。しかし、ウトウトしていると恐怖や不安といった感情が込み上げてきてしまう。汗ばんでいるので部屋は蒸し暑いが身体は冷えて風邪を引いている。部屋の暑さに慣れたら冷房を入れるので、結局は風邪が悪化してしまう。

 訪問看護に電話をするが、そこは気持ちを切り替えて… と言われる。気持ちを切り替えて感情が湧かないのだったら、どんなに楽だろう。結局、今日は起き上がったのは午後。昨日は午前中に起き上がったが楽しみにしていた喫茶店に行けなかった。そもそも楽しみではなくなってしまったが、今日も楽しみな気がしない。

 しかし、行けば何か変わるかもしれない…。そう思って無理に行く。時間も遅く、普段は午後3時くらいに行くと入店待ちになるのだが、その時間も過ぎてしまった。当然、風邪を引いているのに冷房の中にいるので風邪は酷くなるし、精神的に余裕がなく本も筆記具も持っていったのに何もできず。逆に体調を崩してしまった。

 

 眠剤を大量に服んでいるせいか、夜、寝るときに胃が落ち着かずに物を大量に食べてしまう。そのようなことがないように、かつやでトンカツを食べて帰る。まったく美味く感じず、裏目に出る。喫茶店でトイレに入ってくるのも忘れ、バス停で激しい尿意に襲われ、渋谷駅前でトイレに駆け込む。まぁ、バスに乗り込む前で良かったが。風邪も酷くなるし散々な1日だった。